物質と精神
月と太陽
右と左
上と下
裏と表
男と女
静と動
ヨガ哲学ではよく二面的なことを言われる
物質マテリアルと精神スピリチュアル
この2つのものはお互いがあるから存在を確認できるともいえる
どちらがいいとか、どちらが長けているという話では全くなく、その正解や不正解、ジャッジ評価をした時点で苦しみが始まるのだ
好き嫌いあまりこれの振れ幅が大きいとバランスはとりづらい。
中庸で真ん中であること、凪のような状態でいることは無でいること感じないことではない
心が動く時、それは嬉しい時も哀しい時も少し遠くから自分を見つめるように見てみる
かっ!と起こってしまったり暴言を吐くこともあるけれど、その状態を自分で知って感じてだんだんそれが小さな振れ幅になっていくのを調整するコントロールする繰り返し。
物質の世界では数えられたり、先が見通しやすいけれど、精神世界では目に見えないゴールはないことに向かっていく
物質の世界はあるないの世界、ここだけに意識を置いていくと稼げばいいとか本当に大切なものを忘れていって視野が狭くなる
物だって人だって細かい粒子にしたらみんな一緒で温度が違うくらい。
宇宙からみたら私たちはちっぽけなのだ
小さな社会でいることももちろん楽しいけれど、息が詰まったり合わないこともある
そんな時はたくさん悩んでも手放してみたらいい。
今ある安定さや快適さを手放すのは、惜しい
心が求めているのか、頭が求めているのか、本当の声を聞いてみる
本当の声とは、、、
私もわからない。
ここのところは、宇宙に委ねるためにキルタンという音とサンスクリット語を使って神さまの名前を呼んでみる
クリシュナ ハレークリシュナ
クリシュナ クリシュナ ハレーハレー
ただ呼んだからといってすぐ物事が好転するわけではないが、なぜうたうか
頭の思考を一度止めるために唄うのだ
なんだっていいのだけれど、このキルタンは大いなる存在と繋がるツールでもある。
遥か昔からインドの方面から語り継がれてきたらしい。
怪しいと思ったことも確かあったけれど、なんだか音が心地よいのだ。
今は宇宙では冬の時代【争いや綺麗ではない】時と言われ、これから春の真実の時代に向かっていくといわれている。
この冬の時代には、精神界のことをすることは難しいらしい、しかし昔からの経典にはキルタンが推奨されている。
ヨガを始めて10年は経つけれど、ここにきてまた新たな唄う瞑想と言われるキルタンにたくさん出会う機会があるとは。
星の木でもキルタンサンガを始めています。
最近、周りでもキルタンを聞くようになりました。
ぜひ、一度は聞いてみてください。
ただの音楽もいいけれど、知らなくてもそのパワフルな恩恵があります。
キルタンをして神さまの名前を呼んでも、自問自答はたくさんあって
人に期待し過ぎていたり、求め過ぎていたり、それをきっかけにもう自分がいる場所ではないこと、離れるきっかけに感じたり、続けていくことと今一度振り分けてみたり。
たくさんのご縁ときっかけに恵まれて感謝して、時には手放してスペースを空けて次の自然と入ってくることの準備をしたり。
相手のことをどんなに思ってもそれはわからないし、変わらない。
変えることが出来るのは、自分の見方や行動だけ。
あー、出来なかったなぁということも無駄ではない、いつか出来る時が来るから焦らないで自分のペースで時には挑戦的に時には戦略的な休息をいれて、先を考えずにまずは今この瞬間を生きたい。
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